第10章山岳都市

Authors

Nishiyama Uzō

Synopsis

この論文は前の2 章と同じく, 1946 年の「新建築」復刊3+4 号「新しき国土建設」i::のせた3 篇の論文のうちの最後のも1),「山岳都市品」である.都市の建設に日本の国 土の大部分をしめる急傾斜地域を利用せよという捉案である.

穀時中,ただ手がるに入手できるということで,軍粛工場の拡張などに立派な耕地が 乱雑にドンドンつぶされてゆくのをながめていたが,戦争がおわると食料難がおそって きた.凶際的な恒久平和が確立されると,合理的な国際分業によって,必ずしも食料は 自給しなくてもよいということになろうが,嚢地を,そこから上がる収益が少ないから という資本主義経済のカラクリが生む経済性•生産性だけがら評価して,つぷしていっ てよいというわけはない.遠くの山すそまでひろがる沖積‘l;•野に波うつ水稲のみどり,あるいは夏の夜の誘蛾灯のかがやきが一面にきらめく最観はみごとである.都市を沖積 平野の上にひろがらせずに丘の上,急傾斜地にうつしてはどうであろうがそういった 気持から,骰後NHK が毎朝放送しはじめた聡取者参加番組「私たちの言葉」に投苫し た「山岳都市の主張Jというやや索人っぽい提案を§うすこしひろげて,届土を効率よ く店密度にすむための住居のつくり方についてまとめたのが, この章である.

むろん土地の利用という場合, さまざまな荘業のくみあわせと配分を考えるぺきであ る. 日本の国土は,オランダのような乎地と, スイスのような急傾斜地とが組みあわさ れていて,牧畜に適するなだらかな丘陵地は少ないといわれる.そのような比半にして は1/4 ほどしかない平地に水田耕作が発達し,都市の周辺のそういった耕地が,明治以 陥,資本主義都市の発展によってくいつぶされていったしかし都市は必ずしも平地を 必要としないとくに住居はそれをほかの,平地であることがヨリのぞまれるものに 提供して,山の中にもちこんではどうであろう・・9••• という意味のもので,「山岳都市」 というのはいささか表現がきつすぎる.むろん急峻な傾斜を利用するには,防災の問題 ぷあり,かなり人工的な造成工事が必及である. したがって,かえって高密度・コンパ クトな総合的策中開発のほうがよいそれで災害も防げる一ーといった治法であるが, そこまでするのなら,すすんだ建設機械力を利用して,現存の山などにとらわれずに大 規模な国土の地形改造を考えたほうがよいという論法もなりたっ.事‘)ふ戦後神戸では, 衷山がけずられ,海をうめたて,山と海に同時に「乎らな」土地がつくられている.ま た高密度居住といっても,保健性・保安性,そのための重焚条件の一つとして外界への 開放性を各戸に保証することを大切だと考えているが,高密浚生被をさらにおしすすめ てゆくと,そういった環境条件を人工装置で代替した積層住宅のほうがもっと布利なの ではないかというようなこともでてくる. しかし敗戦直後のこの梢想は,そこまで発展 していない.何しるマメカスとイモヅルを食っていた時代の提案であるからなお国際 環境や生産技術•生活様式の変化で,今E ではほとんど問題になっていない「人口過 剰」「食料自給」といったことが煩斜地利用の必要性を力説する前提として多くの紙面 をさいてのぺられているが, これは敗戟直後の当時人びとをつよくとらえていた問題の 一つであるまた,住戸の配列において日照・通風などを非常に重視しているが,それ までの住宅配置がこれを無視してきたことへの強い反撥であるとしても, これを都市造 形の基本条件にすえていることは,今日からみれば坦見であるといえよう. 20 数年前に たてられた予測をもとにして将束を論じているところふ今日からみればかなり的はず れで面白い戦争中,おりおり考えていたことを急1ことりまとめて,上のような趣旨で かいたのであるから,素朴・単純で一面的な見方しかしていない主張であるが,国土空間の利用構想の一つの考え方として収録した.(原姐「新しき回土建設,第3 篇山岳都 '巾論」,新建築1946 年6 月)

Forthcoming

30 June 2018

Online ISSN

2666-3457

Print ISSN

2666-3449

License

Creative Commons License

This work is licensed under a Creative Commons Attribution 4.0 International License.