第9章国土構成のー試論

Authors

Nishiyama Uzō

Synopsis

本章は,第二次1tl:界戦争中および戦争直後にひろくとなえられていた「都市分散釦 にたいして,それを批判する立場から害かれた日木の国士における都市の配置構成にか んする試案的な提案である前単にひきつづいて「国土と都市の段陪構成」という椋題 でまとめられている1 篇であるが,若干きりちぢめた.

過度の人口と産業の染中による巨大都市はいろいろな点で批判されるが, 7 ィジカ)レ な面からは人工環i党が連たんして巨大化するという点であるとし, これにたいして田団 の中に小居住地を分救的に配澗することが考えられるが,それはわが国の国十_と人口の 条件からは不可能である. このような見方で戦時中『皇国都市の建設』などの著嚇で展 開された石川栄翻氏の部rli構成理論を批判し,織場と住居を緊密;こむすんだ,文化的な 生活をささえるための一定の人口規桟をもつ居住埠単位・都市構成栄1立として人口10 万 ~20 万秤Iーとの中都市に注目し,これを国士構成の基本的単位とすることを提案している のである.それによると,森村地岐は,その全域の居住若が日常[」りに利用しうる文化・経済の中心地としてこの中都市をうまく配沼することで構成し,いっぽう,地方や国の 中心となる巨大都市滋地域は, この半能的中都市ないしその数個の沌台体が,合理的な 櫻能分担と連絡組織をもって集中的に配溢されている地域としてて9 くられる.いずれの 獨合にもこの都市平位は,荻低の場合~緑地帯程度であるとしても山園地沿で区切られ,述たん的巨大都市の形成は1札止される. また,「顔見知りJとまでぱゆかなくても,穀高 20 万程度で充実安定したjも城i 1会が形成されるこれは,「盛り場」の研究から出発し て商業・経済・文化の中心としての週能を前師におしだし,年・季•月・週・日といっ た生活のリズムと結びつけ乙都市圏殴の段階構成を提案した石川氏の理論が,市民生活 を熊視して都市化と地方の荒)点を進める日本の開発にたいして一定の批判的怠義をもっ ていたことを評価しこれをうけつぎつつ, ヨl) 高密度の国土構成が疫求される日本の 4湘に適合するよう修IF.を加えた試論だといえる. この主張は,一定の人口規楳が義い うる経済的・文化的中心への人ぴとの日常的ないしもう少し長いリズムを店った利用・ 帰拭という条件を原則として組みたてているが,今一つの阻投·こ祁市成立の条件である 産業立地や交通組織の条件をいちおう捻染している. これはそれらの条件を無視したの ではないむしろ現実は自然成長的なそれらの条件のみによって都市の成長が文配さ れ.過度の染中と巨大化,況乱と過密が生じているのにたいし-c,人間牛活の祁i祉の回 復を条件として,その再編成の目椋をこの条件でチニックしてみるということに項点を おいたからである.そのうえで,そこに探求されたモデルによる,細長い日本列島にた いする大都市を頂点とした地方国の設定の試定をいちおう描いてみている.

ところで, この国土構成の試案を,その後の20 余年をへた国士開発の現況とくらベ てみると,大きなくいちがいがみられる. それは,当然のことなのであるが, この構想 をくみたてている,たとえば交通技術だとが悽業問題だとかいったいくつかの韮要な条 件が, まったくちがった方向に発展していることである. このことについては, :::こに しめされた国土枯成のパターンの骨格を根本からゆるがすものではないかという疑問も あるので,ふれないでおくことは:::きない.

たとえば,圏岐構成の大きさをきめる基礎的な条件である交通手段については,この 椙想では下位の部落(Cふ村落(C2) o)段階では徒歩および自転車しかみていない そのため部落圏の半径は最大4km にしかなっていない自動二給車,あるいは四輪市 を前提とすると, るっと大規模な回城構成をもちうるようになり, c,.c, の段階の構成 は大きくことなってくる. また,航空楼や超特急鉄逍など速度の早い父通t幾閲が入って くることによって,今ではH 本全土を酋都から1 日屈ないし日帰り屈に入れることも允 分可能と見通されるようになりつつあるので,提突されている12 の地方圏中心都市の 配四といったことよりも, もっと中心の集中・集約化したパターンが考えられうるとい うことにもなる. さらに,人びとの生活が,段階的な中心純設(ひろば)に粕節点をつ くりつつ,つみかさねられてピラミッド構成をつくるといった形でなく, もっと全国土 的な流動性をましてくるとすると,居住地・都市施設の展開は,交通軸にそっておこな われ,国上の構成1ま結節点パターンよりネット・バターンをとるぺきだということにな るかもしれないさらに農業については,都ili環境と田[現に結合するという観点と,森 料自給体制の強化を前提としてエ此の組合,少なくとも生鮮食料品の大都市周辺での牛 在といった考え方をうち出していたが,これも現実は特産地形成や高述翰送体系の発展,あるいは国際貿易への依{f!:."‘...,たことで, このような考え方を否定するうこ'きがすす んでいる.

こういったところから,現在の現宍がそのままみとめられてよいというわけではない が, この試寮は現安とはかけはなれ,根本的に修正されるべき点をらっている.それら の点については現在研究をすすめつつあるが,本翠では,店T·<7対年図で新しい考えの 一部をしめして補足しておくだけで,原若をそのまま収録することとした,

今一つ, この収録に際しては大部分省略したが,t祖業・人口の増加に対応してこのよ うな閉域枯成をもつ都市のネットツークの中で, どこに将来の増加人口をうえつけてゆ くかという問逍がある.これについては,人口10~20 万のf社位都市を,裟業地桟とパ ランスさせつつ,荊業建設と並行して年欲計画により必要な佃数だけ新設してゆくとい う姿を原答では考えている. これは,全経済が国家計画によってすすめられるような社 会体制でないと不可能であり,そのような条件が賂柑厄れてらかなり困難.な問籍である ことを指姶しておかねばなるまい.

いずれにしても, この試案は,兵体的にはかなり時代おくれのものである. しかしそ こに主張されているいくつかの間鴎は,今後の国十.構成叫罰想孔廿画において°I;)'.考慮され るぺき条件といえるので,あえてこれを収録しておくこととした.(原坦「新しき凶土 建設」,新建築1946 年6 月)

Forthcoming

30 June 2018

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