第1章生活基地の構造
Synopsis
この涌文は戦時中1942 年の初夏にかかれたものであるが,もょうどその前年の6 月 に「建築雑誌」に発表した「住居の質こついて」という論文でもまたこの年の初めに まとめられた著再『住宅問題』においても,住居のそなえるべき質がどのような:)(!)で あるかは生活全体の構造を明らかにする中でしか論じられないと主張していた.これ1 こ たいして,ではそのような考え方をした楊合,あるぺき住居の質がどのように規定され るか-私はこれについて具体的にどのような発言ができるであろうかと自らに問いつ っ,その生活空間全体の構追についてまとめたのがこの小論である「建築学研究Jと いう小雑誌に発表した.
個々の住宅の条件については前揖論文の中で追求しているので, ここでは生活全体の 枯造とそれに対応する個々の住宅をこえたひろがりをもつ空間―これを「生活基地J ととんでいるが,人間が定住生活をしていろ一定のひろがりを忍った「地域生活空間J をさしている一ーに璽点をおいて追求している.
四つの部分からなりたっており,第1 節は住居の買にたいする指芍的襟準・目様を構 想するためには全生活(輪廻)の構造と生活空問の全体構造(住区・都市・国上といっ た生活基地)についての分析とその理想像がつかまれていねばならないという目様設定 をのべ,第2 第では賓本主義都市の発展とともにこのような観点からながめられる生活 基地の構成のアイディア(地戟空間構造の埋想像)としてどのようなものがかつて提案 されてきたかを,都市化にたいする田図の回復の要望・地岐制•田同都市・衛星都市あ るいはル・コルビュジエやヒJレベルザイメルの大都市の提案ソ連の帯状都市, フェー ダーの提案などに筒単にふれつつ歴史的にあとづけし,第3 節では生活甚埠構成の現代 の問屈として,佳]防・強兵的要請をおもてにたてているが,戦時下の耐乏論でことをか たづけようとするのは不可であることをのべ,第4 節ではそうした生活基地・地域空間 の仝体像の中で居住のための施設をとりあげろ場合の個々の住戸と共同的・地城的な施 設をふくめた居住地域の空間構成において問題となってくる住Jゴの配列・媒合形態·渠 中と分散, ソ連の共同住宅や社会主義都市の提案,あるいは近隣住区の梢成などの主張 を検討している.そして最後に,住居をそれだけのものでなく,生産労働の場あるい はそれらと共に構成される都市や地域空間全体のあり方,つまり全生活施設の体系的楷 成をどうしたらよいかという問姐のなかで,労働と体森生産と消喪をあわせ考えつつ 追求してゆかなければならないとのぺているしかし全体として力址不足のため1らは じめに投定した問坦を充分解明しきれずにおわっているまた戦時中の論述で,「大東 亜戦争完遂」的な表現をかかげており,当時の「囚七計国」への笈請をあらわす歴史的 典味があるものの,著作集1 ・2 染でのべたと同じ欠陥をもつ溢述であることは否めな いしかし佃人や家族の生活空間である住宅如骰密には地岐空ihや)なかで考えねばなら ないこと,その面を初めてとりあげて論じたものとして,そうした問如::たいする諭考 をあつめたこの著作梨第3 集の最初に収録するのが適当と考えたなお,上にのぺた『住宅問題』の「住居の質」については第2 集第v部の「住宅構想」の最初の章(7~ 24 章)に収録しているが,本辛はそれをうけて論旨を展開しているとみていただきたい. 抑図1こついては原苫では戦時中の印制事情il)ため簡略化したのを説明のために若干補足 している(原随「生活の構造と生活基地」,建築学研究第110, 111 号, 1942 年9, 10 月)